likemiami

(スマホ推奨)

GOODBYE

 

 

 

いろんなMVに泣かされてきたけど、曲が悲しくて泣くのは初めてだ。

 

決して手の届かない場所にある何かがどうしても欲しくなったとき、それでも何度も手を伸ばしてみるけれど、その度に手が届かない現実を見せられる。いっそ「そんなものは初めから存在しなかった。私は幻を見ていた。」と思い込ませてしまった方が楽なのだ。そちらに目を向けなければいいだけの話で、目を背けられるぐらいのものならそのうち忘れる。

続けることに意味があるのだと開き直るのも一つの道かもしれないけれど、とにかく、何度手を伸ばせるかが強さだというのだ。

だとすると強いことが良しとされる世界のなかで、彼女たちは強かったと言えるのだろうか。

 

おとなしさとは対極にある姿で自由に遊ぶこと、眉を顰められても自分の好きなように着飾ること、少々キツイ言葉でも本音を歌うこと、そうやって生きることがどれだけかっこいいか。「自分らしくいることが大切だ」という言葉は至る所で聞くのに、示してくれる人はそういない。それをいつでも体現してくれていた。存在自体がメッセージだった。

 

なんて強い人たちなんだろうと思っていた。

歌を聞けばそのパワーを分けてもらえる気がして、勝負の前にも後にもしょっちゅう聞いた。

 

最初に報せを聞いた時はどうしても実感が湧かなかった。悲しくなれるだろうかと曲を聞いてみても、曲自体が消えるわけでもないから、喪失感の原因が分からなかった。失うものが何なのかわからなかった。

 

今になってそれが分かった。私は共有する時間を失うのだ。CDもDVDも音源も映像も歴史も記録も消えないけれど、もう彼女たちと一緒に歩くことができないのが悲しいのだ。

人が生きることと同じように、全てのものは時間が通り過ぎるなかで存在する。そのモノにとって経る時間がなくなったとき、存在がない状態だと言えるのかもしれない。

ふとした瞬間に、特に彼女たちの歌を聞いているとき、そうやってメッセージをくれるひとが「いる」ことがなによりの説得力だったのに、そうでなくなる。

 

個性というものは二つ以上隣り合うから目に見えるのであって、それだけがポツンと存在したところで、違いを見て取ることはできないのだ。

 

 

 

 

大好きでした。どんな言葉でも足りないほど。